「人のふり見て我がふりなおせ」

他人のどーでもいい事を、わざわざ、とやかく言う人がよくいます。
大勢の人間が集まれば集まる程です。
そしてそれの大半は悪口です。 あの人はどーだの、こーだの批判的な言葉、その人の容姿など………に的をしぼって。
なぜ、自分に対して危害も加えない相手に、あの人はどうだとか、こうだとか。
否定的なんだろう。
大概、人の悪口を言う人は相手の良いところを見ようとしない人が多いと思う。
アラ探しをして、相手を見下したいのだろうか。
自分が常に上位に居たいのだと思う。また、人より優れていると思いたいのだろう。
そういう、人に自己の成長はあるのだろうか? もしくわ成長したい気持ちはあるのだろうか?
人格者は、そんな事はしない。相手の良いところを見抜いて、それを見習い自分の成長につなげる。 または、悪いところをみて、そうならないように努める。
世の中は、常の事だが人と人の中に成り立っている。
もちろん、悪人もいれば、善人もいる。 それが、人間でもある。 善人だって欠点はある。
そもそも、人間はエゴの固まりなのだから。
だから、完璧な人間なんていない。
だからこそ、善人とは「人」が「人」であるために、自己の成長に精進する人の事では
ないのでしょうか。
最初から善人なんてのは、稀なんじゃないのでしょうか?
だから、日々の生活の中で色んな喜怒哀楽を通して人は成長していくのでは、ないのでしょうか。
大人になってまで、意味のない他人を嘲る発言に「人」としての成長はない。
損得で人付き合いを、決めてはいけないと‥‥‥
人の善し悪しで、人付き合いは決めるものだと、以前教えられました。
神は人と人の人生での出会いのは、用意してくれていると‥‥‥それが宿命なのだと。
その出会った後に、ご縁が続くか、切れるのかは運命。
運命とは当人達次第。そこ(経験)に学べと教えは説いています。
自分は、どう有るべきか?。
自分の、生きる目標は?
命尽きる時、自分の人生を顧みた時、自分に何と言えるのか?
動物として生まれた人間が、最後は心から「人」ととして天寿を全うしたいものですね。